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Channel: 秦会長が語るとっておきの話 –全日本 少林寺 気功 協会
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7.何のために僧になるのか

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 人は何のために出家して僧侶になるのでしょうか。前回でも書いたように、僧侶の生活は貧しく苦しいものです。では、中国でも世界でも、昔から多くの人たちがなぜ僧侶になったのでしょう。日本の僧侶の少々違いますが、インドや中国では今でも戒律を守っている僧侶は多いです。少林寺の徳禅大師は「これは一つの信仰であり、高いレベルの信念なのです。」とおっしゃっています。特に大乗仏教の禅門の弟子は、次のような二つの言葉をよく口にします。「苦海無辺、回頭是岸。苦しみにはこれで終わりというものがないが、ものの見方を変化しさえすれば、悟りはすぐそこにある。」と、「放下屠刀、立地成仏。人間を殺す刀を下ろしさえすれば、すぐに悟りを開いて仏の境地になれる。」というものです。このレベルにまで到達できれば、仏教で定めている事に対する違反行動はしなくなります。また、それまでの自分の信念を変えて、仏教を信じるようになります。
 では、「仏」というのは、どう意味なのでしょうか。「仏」は「仏陀(ぶっだ)」の略称で、「目覚めた人」あるいは「智慧のある人」という意味があります。「仏」を信じる人は仏教の中から見て、それは智慧があり、悟りを開いた人ということになり、そのような人はお寺に入って和尚になります。「和尚(おしょう)」というのは、元々は「師尊」という意味です。仏陀は後世の弟子たちから「大覚尊人」あるいは「大覚尊師」と呼ばれていました。「和尚」というのは、元来尊称であり、一定の資格を持った人だけが名乗る事を許されており、人々の見本になるような人がなるものなのです。だから全ての僧侶が和尚を名乗れるのではありません。だから中国では、一般の人々に「和尚」と呼ばれた場合、僧侶は必ず合唱して「阿弥陀仏」と唱え、謙遜の意をあらわします。
 「仏」というのは、一般に言う「神」という意味とは違います。では、仏教はどういうものなのでしょうか。仏教というのは、悟りに至る一つの学問であり、一つの哲学なのです。エジプト、インド、中国など古代文明の総括であり、奥は広いと言えます。よく探求し、実践すれば悟った人になれます。仏教の視点から見た場合、人はすべて仏性(ぶっしょう)を持っています。しかし、充分な修行を積まないと仏性をあらわす事ができません。苦しい修練や一生懸命にした研究を経て修行すれば、様々な雑念や考え方は消えて悟りにいたり「仏」になるのです。全ての人は「仏」になれます。仏教では、「お釈迦さまは悟って「仏」になったが、未来の世界にも「仏」になる人が出てきます。すべての人には、悟って「仏」になる可能性があるのです。」と考えてきました。しかし、修練しなければ、世の中の誘惑や障害から抜け出る事はできず、そうすれば悟りの状態には至れないので「仏」にはなれません。
 さて、今少林寺には六十名余りの僧侶がいます。みな「仏」の境地を目指してやってきましたが、そこにいたる原因はみんな違います。少林寺に入る理由は色々異なっているし、年齢も違います。しかし、目的は同じです。それは、少林寺に入って、自分の精神の解脱(げだつ)と精神の安定を図るというものです。高僧の話によれば、仏教の規則を守り、一生懸命修練すれば、最高の悟りにいたり正しい結果を手にする可能性は皆にあるとのことです。
 自分の修練の方法には、達磨大師がお伝えになった「理入」と「行入」の二つの方法があります。まず「理入」ですが、一つはお経をよく読んで研究して理解し、自分の心身の規範とすれば、真に「仏」の通りでするということです。もう一つ、これは瞑想・座禅といった類のもので、「壁観(ひかん)」です。これは壁に向かって座禅して瞑想して、自分の雑念を全て払って、心の深い所から安楽を求め、極楽浄土に至るということです。
 二番目の「行入」ですが、出家した僧侶は日常生活の中で四つの道徳行為を行わなければいけないというものです。第一は「報怨行」といい、世の中に起こったすべての事を我慢し、苦しい事が起こっても文句を言わず、嫌な気持ちにならないということです。第二は、縁(えん)に従って行うというものです。普通の生活の中で自分の存在を消し去り、自分の存在はないものとし、自分の楽しみや苦しみを一切計算したり感じたりしないというものです。どんな事があっても心を動かさず、意見を言わずそのままの状態でいます。第三は、自分の欲望を一切禁止し、目的も持たず、自分の行動に目的を持たせないというものです。もし、自分の行動に目的があれば、必ずみんなが苦しみます。目的がなければ、みんなは楽しい状態になるのです。だから欲望と目的があると苦しくなります。苦しくて心のバランスがとれていない人は、だいたい欲望が多すぎるのです。だから、僧侶になると自分の欲望を捨てるので、心が落ち着いて、何もなくてもいいという境地にいたり、自分の縁と恩に自然のままで任せる事ができるようになります。第四は、いつでも、どんなことがあっても、仏教の道理の通りに行動するということです。すると、いろいろな悪い習癖もなくなります。これまでに述べた、二つの「入」と四行(四つの行為)は仏門の弟子が行う道であり、行動規範でもあります。僧侶は愛憎を捨て、苦楽をなくし、欲望をなくし、目的をもたずに運を天に任せ、執着せずに仏法のとおりに行動すれば、智慧を手に入れ、悟りにいたることができます。つまり「仏」になれるということです。僧侶はそのために修行しているのです。僧侶ではない私達にこのような厳しい要求は求められていませんが、僧侶になる目的についてわかっていたほうがいいと思います。


6.苦行僧の生活

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 「少林寺の禅門の弟子の生活の目的は、自分の身体を自分の身体とせず、自分の命を自分の命としないことです。これはつまり、自分の身体や命を一番大事なものとせず、逆に世の中の人々が 世俗の苦しみから離れて心身平穏な世界へと導くのが自分の任務であるとする考え方です。一日仕事をしないとか、一日食事をしないとか、自分で自分を律して養う形で、他人に一切の要求をしません。これが基本的な道徳です。
だから日常生活は苦しみを楽しみとなし、貧乏をよしとし、生活が豊かなのは恥ずかしく、身分が高いのも恥ずかしいと考えます。智慧を得るのが本来の目的なのです。」少林寺第二十九代名誉管長「徳禅大師」は以上のようにおっしゃっています。
 普通の少林寺の僧侶の生活は、世間一般の人々の生活と比べて、少々苦しいものですから、苦行僧と考えても差し支えはないでしょう。では、これから、少林寺の僧侶達の衣食住についてお話しましょう。
 少林寺をおとずれる一般の観光客は、一般の僧侶達が出家した人達が着る僧衣ではなく、大きなつながった服を着ているのが理解できないのではないかと思います。実際、出家した僧侶達と一般の人々が異なる服を着なければならないという規定はないのです。では、それはどうしてなのでしょうか。これは、歴史に由来するものです。仏教が中国に入ったのは今から約二千年前の後漢の時代でした。当時から現在に至るまで、服装は時代にともなって変遷してきました。しかし僧侶達は時代が移り変わっても、流行は追いかけず、仏教伝来当時の服装を変えなかったので、現在に至るまでずっと漢の時代の服装を続けているというわけなのです。理由はそれだけにしかすぎません。
 具体的に衣服のお話をしますと、一般の人々の服には大中小とサイズがあります。漢の時代の服はだいたい大きいのですが、「小衣」は五つの布を縫って作ったもので、中国語では「五衣」といいますが、日本では「作務衣」と呼ばれており、寺院の掃除や労働の時に着ています。次に「中衣」ですが、七つの布で作ったもので、仏事を行う時に着るものです。最後に「大衣」ですが、これは一般的には九つの布で作るのですが、多いものでは二十五枚の布で作ったものもあります。二十五枚の場合は、僧侶の礼服で「袈裟(けさ))といい、僧侶が所用で寺を出る時や自分より上の人に会うときに着るものです。袈裟の本来の意味は色の名前です。「色々混じった色」という意味があります。僧侶は一般に青、黄、赤、白、黒といった五色を身につけてはいけません。袈裟は、昔のインドの礼服の形で作られており、「比丘戒」を受けた僧侶だけが、着ることを許されています。寺院の中で一番高い位にある僧侶のみが、赤い袈裟を身につけられます。僧侶が定められた僧衣を身につけ、剃髪するのは、世の中で言われる華美な衣服は捨て、地味で質素な生活を過ごすという目的のためです。
 では、僧侶は袈裟をつけた時、なぜ片方の腕を出しているのでしょうか?これには二つの意味があります。一つはブッダを記念するためです。仏陀の絵や仏像をみればすぐわかるのですが、袈裟を着て必ず胸や腕が出ています。インドは暑いので、そのように着ていらっしゃいました。しかし、中国はインドより寒いので、まず中に服を着て、その上に袈裟をかけ、そして片方の腕を出したのです。これは祖師であるブッダを忘れないようにという心から来ています。もう一つは、少林寺二祖の「慧可(えか)」が達磨大師に自分の決心を表すために左の腕を切った故事に由来しています。そのため少林寺の僧侶は左の腕を出しているのです。
 僧侶はみな精進料理を食べ、飲酒はしませんし、肉も食べません。これは仏門の「殺、盗、淫、妄、酒」の五戒を守るためから来ています。もし肉を食べれば、かならず「殺」の戒を破る事になります。仏教の考えでは、動物でも虫でも、全てのものには生命があります。そして生命があるものは、魂を持っています。それゆえ、殺してはいけないのです。そうした動物の肉を食べると言う事は、自ら殺していなくても、殺したのと同じことだと考えます。またそれだけではなく、植物の中でも、ねぎ、ニラ、ニンニクなどを生で食べてもいけません。生で食べた場合、強いにおいがするので、このような状態で他の人と話すのは、礼儀正しい振る舞いとはいえません。だから、仏前でこうした強いにおいをさせるのもいけません。しかし、よく煮たり炒めたりしてにおいを完全に除去し、調味料として使う事はできます。実際のところ少林寺ではこうした刺激臭を持つ野菜は、寺院所有の農園では栽培していませんし、購買もしません。
 さて、現在少林寺で生活する僧侶は、五、六十名ぐらいいますが、生活費は全て寺の収入によってまかなわれています。労働できないような高齢の僧侶だけが、国家から補助をいただいているぐらいです。観光客からの入場料と、少しばかりの土地からとれる農作物からの収入にたよっているわけです。僧侶はみな、観光客の接待や、寺院の掃除、仏像の管理、農作業などを仕事としており、千年以上こうした「農禅」生活を続けてきています。そして一日仕事をしなければ、一日食べません。他人から施しは受けないのです。
また、少林寺の僧侶は農作業をしていますが、これはけっこう重労働ですから、一日三回食事します。寺によっては、食事は一日二回で、昼ご飯のあとは食べないというところもありますが、少林寺は一日三食です。一般の僧侶は仕事がなくて、在家から食事をいただくというケースもありますが、少林寺ではそのような事はしません。少林寺は住んでいるところは質素で、ベッドと仏像の他には何もありません。
 少林寺はへんぴなところにありますから、交通手段として飛行機や船に乗るのは許可されています。また、少林寺は自動車も持っていますから、自動車で外出する場合もあります。そして、僧侶が寺を離れる時は、他の寺院に見せる紹介状のような「参学証」というものを持ちます。これは、僧侶は一般の人と違って、朝夕の勤行(ごんぎょう:朝課晩課のこと)が欠かせないからで、僧侶は自分の寺を離れても、なるべく寺院に泊まって、そこでいっしょに勤行するためです。ホテルに泊まる場合は、一人で勤行しなければならない場合もあります。
 最後に少林寺の僧侶は、前に述べた衣食住以外に、結婚についてもはっきりと規定があります。これは、「五戒」によってしてはならないと定められています。僧侶は家庭の一切の事柄から解放されて、仏教に専心しなければなりません。もし仏教を信じる人が結婚する時は、在家の弟子としてであり、僧侶として結婚する事はできません。これは少林寺で定められています。

5:少林寺の組織はどのようなものか?

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 人々が少林寺へ来ると、少林寺についてちょっと詳しい人は「常住院」いうことを耳にします。この「常住院」と言われているのは,少林寺の組織の1つです。少林寺は代々僧達によって伝えられてきましたが、人々は皆大家族という雰囲気があります。だから一般の親戚関係のように、いとことか同じ世代といった分け方が存在するのです。
清朝以来、少林寺の僧は十八の門派に分かれ、それぞれのグループを形成しました。そのグループはおのおの別に住み、それぞれが「荘院、土地と財産、農耕用の牛や道具、農耕地、」などを持っていました。これがすなわち、世間でよく言われているところの「少林寺の十八門僧」ということなのです。この十八の「家庭」の間には貧富があり、常に相互の貸し借りがあり、土地や家具の売買といったこともよく発生しました。この十八の家族の間と、寺や世間との間を処理する政務機構を作る必要がでてきたのです。こうした大きな事務のために常設された機構と人員が常設されて、「常住院」に住んでいました。「常住院」の名称もここから生まれたのです。
この常設機構と人員は、寺の管長とその首座(しゅざ)など四人の班主(はんしゅ)と八人の執事で構成されています。では少林寺はいったいどういう部分から構成されているのでしょうか?一つは南北少林寺です。距離は遠くても少林寺の部門です。少林寺の西側に、少林寺開山の祖師であるバッダ和尚当年の「甘露台」があります。五乳峰の上に達磨大師が九年間壁に向かって座禅を組んだ場所である達磨洞と達磨大師の住居である「初祖庵」があります。南面には、さらに二祖「慧可(えか)」が自らの腕を切って達磨大師に法を求めた後、怪我の静養した場所「二祖庵」があります。寺の東にはさらに三祖「僧 ソン」を記念した場所「三祖庵」があり、さらに魏の孝明帝の妹「永泰公主」が修行をし、また歴代の尼僧が修行した「永泰庵」があります。このほかに、さらに代々の少林寺の僧侶の墓である「塔林(とうりん)」などがありますが,これらで少林寺は構成されています。このように「常住院」を除いて、その付近には七つの構成部分があります。

4:天下の”少林寺”はいくつもある?

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少林寺はふつう嵩山少林寺と言われていますが、ほかの少林寺はありますか。実際今わかっているのは、少林寺は十五あります。一番最初にできたのは嵩山少林寺です。嵩山少林寺以外に、唐の時代、初代皇帝「李世民」は南方征伐を行ない全国を統一しましたが、相手側の将軍の部下が、福建省の海に面したところで海賊になっていたので、その場所が非常に不安定な状態でした。李世民はその当時の少林寺の管長に頼んで、管長が二人のリーダーのもと五百の僧兵を福建省沿海に派遣して、福建に住んでいる。十何年間。そうして、その海賊を消滅させて、そこで仏法を伝えたので、大勢の人が仏門の弟子になった。でも、大勢の僧兵達は少林寺に戻りたがっていた。そこで皇帝の許可がおりて、海賊を平定したそこの南にもう一つの少林寺を作りました。その作った場所は、実際は福建省の蒲田の北の所は5,6キロぐらいの所の九蓮山のふもとに南少林寺を作りました。それから残念なことに時代が下って清の時代に康煕帝に破壊されてしまったのですから。
実際に少林寺武術の発展と少林寺の禅の事が広められたので、。全国で少林寺の名前がつけられたお寺はけっこう多いです。例えば元の時代の皇帝は、盤山法興寺を「北少林寺」に変えました。そういうのもあります。
次に江西省の盧山、もうひとつは「蛤蟆ワ少林寺」そういうこと。次は蛾嵋山の中にももう一つの少林寺、広州に一つの少林寺、福建の泉州にある鎮国東禅寺も少林寺の名前に変わっている。そうするとその後は、また、どう言う意味、晋江の東風山、山東省の沂水九蓮花山、あるいは長安、太原、台湾の八幡社陽山、みんな少林寺を立てました。元の時代に、外モンゴルのところにも一つの少林寺。だからそうすると、中国国内は十二の少林寺があります。
そうすると少林寺の禅と武術が世界に世界にだんだん伝えられて、日本にも少林寺は作られている。日本の金剛禅の少林寺もあります。シンガポールも少林寺があります。これでふたつ。十四ですから。最近はアメリカのニューヨークのチャイナタウンのところにも、一少林寺がつくられました。だから全世界で十五の少林寺があります。

3.「禅」「禅寺」とは何か:中国の仏教の流派について

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少林寺は、「大乗勝地」のほかに「禅宗祖庭」と言われています。これは、達磨大師が初めて大乗仏教を少林寺に伝えそこから大乗仏教が中国に広まったので、少林寺は禅宗祖庭つまり発祥の地となるのです。また、禅とはどういう意味でしょう。仏教のもともとの説明では、禅は禅那の省略の名前で、意味は静かに考えるということ、または静かに集中して考えるということです。
次に、「禅定」とは何でしょう。それは、自分の思いをひとつに集中させるということで、そうすると悟りを得られます。禅宗では、本当の禅はいつでも人の周りにあると考えられています。つまり、どんな所にも四方八方あって、自分が歩いていても座っていても寝ていても禅はあるのです。例えば、魚は海の中にただ住んでいるのではなくて、全生命は全て海の中にあります。海は自分の中にもあり、自分の外にもあります。海に住んでいますが、海から生まれて最後は海に戻ります。海はあなたを包んで、自分の身体と同化します。だから禅では、海は禅と同じだと考えています。
中国の仏教あるいは中国文学の特質は禅であり、あるいは禅の文化であるという言い方もあります。禅にはかなり広い意味があります。禅の言葉は、非常に表現しにくい深い内容であり哲学の道理も入ります。曖昧な中に深い内容が入っています。歴史上有名な在家弟子の詩人「白楽天(白居易)」という人は、嵩山に来た時に、よく禅行をし年配のお坊さんと禅問答をしました。中国の仏教の歴史には、そういう特別の素質があります。それは時代や時間によって変化し、進化しています。その途中の異なる段階、現実、形、内容によって、その禅の段階と内容や形は違います。中でも有名なのは、修心禅、安般禅、声聞禅、菩薩禅、次第禅、頓超禅、五門禅、念仏禅、実相禅、観話禅、黙照禅、悟心禅、成仏禅、密宗禅、賢首禅などです。
それでは禅宗とはどういうものでしょう。これは、中国仏教の第一の宗派であり禅定の考えを持ち仏教の修行全ての内容をまとめたものです。修行者は常に自分の心をひとつにして仏教を修行研究し、最後は「自心」を悟らなければならないということです。直接、心をさして、「見生成仏」すなわち自分の生を見て仏になります。「参禅打座」は座禅をすることです。この宗派は、特に座禅をすることを強調しています。だから禅宗といいます。禅宗のお坊さんが座禅をする目的は何でしょう。自分自身の悟りから、自身の持つ「仏性」を表現します。だからこの宗派は「仏心宗」あるいは「心宗」とも呼ばれます。心宗とはそういう意味なのです。特に禅宗の第6祖慧能は、禅定は主に修心と見性に重点を置くという事を強調しています。これは、ただ座っていることか心を静かに保つとか、景色が浮かんでくるという状態ではなく、自分の本性を知るということです。
仏教には色々な宗派があり、修行にもそれぞれの特徴があります。仏陀が仏教を創立してから後、インドの僧先后は十大宗派を中国に伝えました。各流派の思想は、中国の民族文化と混ざり、長い期間の中で相互に吸収、消化して創造的発展をしました。特に6世紀末から9世紀の隋と唐の間の時代は、中国で仏教の最も盛んな時期でした。それぞれの思想理論の発展により各宗派はだんだん大きくなっていきました。禅宗以外では相、台、賢、浄、律、密の7大宗派があり、この宗派は<<中観論>>や<<百論>>、<<十二門論>>の研究、修行により三論宗が形成されこれは法性宗とも呼ばれます。別の宗派では、瑜伽宗、あるいは法相唯実宗、浙江省天台山の智イン和尚による五時八教の総鋼である一心三観や三諦圓融を中心とした天台宗があります。また、賢首宗あるいは華厳宗とも呼ばれる宗派があります。そして<<無量宗経>>による西方阿弥陀の極楽浄土を中心とした浄土宗があります。そして、声聞律により<<四文律>>があり、律宗があります。8世紀には、インドの善無畏の金剛智、不空らから密教が中国に入り密教が密集しました。このように色々な宗派があります。

2.大乗勝地と小乗仏教

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少林寺を訪れる観光客は、少林寺の玄関の山門の所で何か思うかもしれません。そこには両側の壁に書かれた大きな8つの字があります。右側は大乗勝地、左側には禅宗祖庭。大乗勝地とはどういうものでしょうか。大乗が存在するなら小乗もあるのでしょうか。
南インドから来た達磨大師は仏教の大乗宗教教義を初めて中国に伝えました。先ず少林寺に広め、その後全国の仏教に影響を及ぼし非常に意味のある改革をしました。こうして少林寺は大乗勝地と呼ばれるようになりました。
大乗があるということは小乗もあるのでしょうか。達磨大師が少林寺に来る前は、インドから来た跋陀和尚が小乗の教義を伝えていました。その時、中国国民が全国で習っていたのはすべて小乗仏教です。達磨大師が初めて中国に来た時、大乗仏教はあまり知られていませんでしたが、弟子の慧可や道育、尼総持らによって広められ全国に伝えられました。
また、大乗や小乗とはどういうものなのでしょう。大乗、小乗の乗とは「乗る」という意味です。例えば、車のような乗り物。みんなが仏教を習うということは、お釈迦様、仏陀の乗り物に乗るということです。自分の悩みや苦しみから離れ目的地に案内してもらい、非常に楽な世界に行きます。
小乗とは自転車みたいなものに乗ることです。車と同じ乗り物ではあるけれど、これは自分の力でこぎ自分だけを運びます。だから自分の力で苦しみから離れ楽になる場所へ行きます。最終的には自分が頑張った分だけの利益が自分だけに返ってきます。自分で努力すれば自分は楽しくなり、いい結果が出る。そして悩みの世界から抜け出し、楽な世界に入ります。
大乗の方は、大型バスのような乗り物です。自分の他にもたくさんの人を乗せます。自分が楽になると同時にたくさんの人も楽な世界に渡ります。多くの人と一緒に、苦しみや悩みの世界から離れて浄の極楽の世界へ行きます。
小乗仏教はもともとはインドの原始仏教でした。仏陀の根本的な教本です。小乗仏教はを仏陀様を教祖にし、自分の解脱を追及します。修練は、三法印、四経諦和十二因縁論、中心は三十七道徳品質の道徳修行。色々なものを通って最後は羅漢のレベルになります。小乗仏教はスリランカ、タイ、ミャンマー、東南アジアで広められています。
大乗仏教の考えは大慈大悲。多くの人を助けます。布施、持戒、精進、智慧などの内容により菩薩修行をします。たくさんの人と一緒に、苦しみから離れて楽になり悟りの世界に行きます。そして仏の世界へ行きます。
これは仏教についての簡単な話です。もちろんもっと詳しい話もありますが、ここでは簡単な紹介にしておきます。

1.少林寺はいつ、そして、なぜ建てられたのか

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少林寺は西暦495年、中国の歴史上の南北朝時代に北魏の孝文帝(拓跋宏)により太和 19年に建てられました。魏孝文帝は、全国統一を手に入れる為にインドの高僧跋陀和尚に意見を求め、その褒美として少林寺は造られたのです。
当時、中国は南北朝の時代。北魏の王朝である少数民族鮮卑族は、揚子江の北側、中国の全体の6,7割の土地を支配していました。南の宋王朝は、揚子江の南側の中国全体の3,4割の支配でした。
拓跋宏が天下の時に国の力は段々とすごく強くなっていきました。西はイランイラク、トルコ迄、東は韓国迄とかなり広い地域に勢力を伸ばしていました。もし拓跋宏に従わなければ、北の方の小さい国や民族はすぐさま砂漠の北まで追い出されます。ただ、南朝の劉宗の統一までは及んでいませんでした。
その時期、インドの高僧の跋陀は中国の雲崗石窟で仏教を伝えていました。孝文帝は天下統一について跋陀に意見を求めました。跋陀和尚は自分の考えを話しました。
北の魏の発展は天時によるものです。これは運命的という意味です。また、恵まれた場所により、自分の軍隊の兵力が発展しました。この地利ということにより、国の6,7割もの地域を統一できたのです。
ただ、人和ということが足りません。だから全体的な天下統一はできないのです。中国は昔から政治的な最終到達には天時・地利・人和の3つが揃わないと統一はできません。もし人和があるならばもっと統一はできます。この話を聞くと、孝文帝は非常に喜びました。
また、跋陀は人和の為の4つの提案をしました。第1は、先祖である太武帝が行なった仏教弾圧の政策を変えてやり直すことです。そのためには自分の国の中にたくさんのお寺を作り、大勢の僧侶と尼僧を援助します。そしてみんなが仏教を信じる心を育て、人間の心を安定させるのです。皇帝自らも在家弟子となり、仏教の信者であることを国民に表わします。そしてお経を読み、国民みんなの安定を願うのです。
第2は、国民みんなに土地や食料を平均的に与える制度を作ります。食料を充実させ、毎日の食事が安定するとみんなの心も安定します。
第3は、漢民族の心を掴むことです。国の中では漢民族が一番多く、国全体の安定には漢民族の心を抑えることが大事なのです。その為には、漢民族の習慣と礼儀を尊敬しなければなりません。まず漢民族の学校を作り文化を学びます。そして皇帝は少数民族ですから、自分の民族の女性は漢民族に嫁ぎます。異なる民族間の結婚は許されませんがこれを一切許すのです。特に、皇帝自らと親族がまず始めに漢民族の衣服、礼儀、言葉、漢語、姓を取り入れます。これにより、漢民族と自分の民族との壁を取り去り、こうして全体の国の統一をするのです。第4は、首都の場所を、皇帝のもともとの北の少数民族の場所ではなく、国の中心部である洛陽に遷します。いい国は、みんなの心が中心を向き統一の意識が生まれるのです。だから必ず最後は全体の天下統一とは、心に戻るのです。孝文帝は4つの意見を聞いて感心しました。ただ、第3の提案には少し難しそうな顔色を見せました。
跋陀は続いて話しました。昔の孔子について有名な話があります。天下統一とは何よりも王が大事です。もし皇帝は自分の周りにいる人達ばかりを気に掛け多くの国民の平和や幸せを願うのを忘れてしまったら、それは国のリーダーではありません。跋陀は言いました。あなたが自分の民族の平和だけを思うのなら第3と4の提案を実行せずに統一をしなくてもいいでしょう。
この最後の言葉で孝文帝は目が覚めました。それからは非常に頑張り、周りの親族の妨害も乗り越えて、4つの提案を実行しました。
自分を始めとして仏教を信仰し在家弟子となり、漢民族の文化を取り入れ、姓は元という漢民族のものに変えました。国の元々の首都の山西省、から洛陽に遷しました。そうすると国はどんどん発展しました。しかし、皇帝はことを跋陀の意見を実行したら国が発展したので1日もインドの高僧から離れなくなってしまいました。そして跋陀に山西省の雲崗石窟から出て来て洛陽に住む事を願いました。でも跋陀は、洛陽は賑やかすぎるし自分は静かな所が好きですから嵩山に住んで世の中の喧騒からは離れたいと言いました。
皇帝はどんな場所が良いのか訪ねると跋陀は“竜虎相親地、如来身下辺、睡蓮花心内、シュアン(車へんに環の右側の字)轅古道前”と答えました。皇帝は洛陽に引越し後すぐに大臣と一緒に嵩山を探し法王寺に泊まった時に管長である道登和尚からその意味をを教えてもらいました。
そこで皇帝は跋陀和尚の為にお寺を作り、このお寺は少室山の林の中にあるので少林寺という名になったのです。跋陀和尚は、30数年間少林寺の管長になり、その間に多くの弟子もできました。この様に少林寺初めての管長は達磨大師ではなく跋陀和尚でした。また名の有る管長としては慧光、僧周のふたりも知られています。

前書き

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皆さんは中国の嵩山少林寺について、日本のテレビや様々な出版物からご存知だと思いますが、大体は特に日本では少林寺拳法連盟という組織から知ったという方が多いでしょう。また、映画からという方もいらっしゃるでしょうが、少林寺のことは日本人の間でかなり知られているようです。一番多いイメージは、武術だとか禅、あるいは古い物語など色々あるでしょう。でも、今回は少林寺の中のことであまり皆さんが知らないようなことを話しましょう。
少林寺について基本的なことの他に多少面白さのあるものも出てきます。皆さんにもっと少林寺を理解してもらうために生きている少林寺を表現したいと思います。この連載を通して、修行と観光と映画を観る以外の少林寺の知らないところをご案内致します。


正月

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旧正月はまだですが日本はお正月ですし私は久しぶりに中国に今回は少し長く帰る事ができました。一つは実家への帰郷。一つは少林寺へ。もう一つは中医学の勉強のこともありました。
特に少林寺の中では管長とお会いして意見の交流をいたしました。
管長は日中間でたとえ大変な事があったとしても、前を向いて歴史を越えるという意見でした。
私はやっぱり管長は修行の人の心と人格だと感じました。
私はもちろん少林寺の人間ですけれど、日本でも一つの立場もあるし、当然に日本も大事にしなければならない。中国も大事にしなければならない。でも管長の場合はもうちょっと違う、少林寺は中国にあり、役割としては全世界が相手です。
だから日本人の心と気持ちをよく理解できる。よく修行のできている人はこういう意味で凄いなあと思う。もし同じ修行を政治家がやったら自分自身のレベルはさらにアップする。もっと将来の事、何百年後の事が考えられる。中国も同じでもっと何百年後の歴史の事が考えられるのではないかなと思います。
もちろん協会と日本の事についてもお互い平常心の気持ちでいつものとおり何があっても変わらない。事があってもなくても平常心は変わらない。そういう気持ちです。だから今年の少林寺訪問は通常とおりいたします。
日本での世界大会も当然に少林寺は全面的に応援します。出来上がってきた大会のパンフレットを管長に見せたら管長も非常に大喜びで色々話しました。
もう一つ非常に重要な目的は出版される本の少林寺山門での写真の撮影の事です。少林寺は結構寒くて特に朝はマイナス十何度くらい。その中で練習して撮影しました。練習はまだ寒くないですが段々撮影になると寒くなってくる。私を撮るカメラマンさんはもっと寒い。でもプロのカメラマンですから。
北京でもプロの治療家に会いました。
そして易学風水の老人の団体とか色々な団体と会ってみると今年の世界気功フォーラムの大会に興味持っている人が多いです。
『基本的にいい事であったならば、時期はそんなによくなくても、いい事はいい事。理解できる人は理解できる。』そういう事です。だから今回は自然の流れで理解できる人にどんどん弘まっていくでしょう。

今年初めの授業

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今年初めの授業は26期生と28期生の静功と治療と理論でした。久しぶりの授業でしたが皆さんの真剣さが感じられました。その姿から一年間頑張っていけると感じました。

指導員2と指導員3は新しく習うものは量はちょっと多くなりますが皆さん頑張ってください。

指導員3は40種の功法で15くらい復習したらまた新しく6功法進みました。さらに指導員2の人に意拳の站椿功と試力など十何個かの方法を訓練致しました。別の流派の中にもいいところがあります。だから優秀なところは身に付けるように。

日曜午前中は31期生、皆さん久しぶりでしたが動功のほうは鶴功36式の12式、13式は骨盤が大変ですけれど最強の骨盤の練習ポーズで寒いのに汗は一杯出て段々その形にも慣れるということも感じられました。午後は静功と理論が終わって4時から30期生の理論と静功をしました。とりあえずいつもと同じように一年間の授業のスタートになりまさた。

指導員Ⅱの教室

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気功教室の風景

今日は指導員Ⅱ易筋経の第三段半身式でした。站椿功のような形で皆さん頑張りました。前の側身式も頑張って、色んな年令層と気功の経験のない人も指導員Ⅰと同時に指導員Ⅱも進んでやっぱり人間はやる気があったら時間なくても出来る。やる気がなければ時間があっても出来ない。このような同じ経験は以前にも何回もありました。本当に人間のすべてのことは自分の心が決める。

指導員Ⅱは鶴功三六式とは全然ポーズも違い内容はまた違うものです。鶴功三六式とはまた別の角度から自分の体は強くなる方法ですから非常にいいと思います。

武術教室

最近武術教室ではもう一度七星歩をやりました。皆さんは七星歩の練習をもう一度やってみて、やっぱり中国武術はスピードとパンチの力は足からといわれます。その練習を、七星歩の練習からすることが出来ます。

次に全身の力はレーザーのように、普通のぼんやりした光ではなく、一点に集中して出すことが出来る。そういうような練習が七星歩の練習からよく出来ると思います。観音十八掌のそのなかに七星歩はあり、だいたい十秒以内に走りながら速いスピードで全部の動作が終わります。皆さんの七星歩のスピードと発勁の練習とパワーの練習にすごくいいと思います。皆さんの練習は非常にいいと感じます。そうすると一対一の練習より攻めると防御のそういう一つ一つ具体的な実践のような感覚も練習できます。

次は陰陽拳の練習、相手の攻撃を守ると攻めるはセットで零秒のうちに自然反応で返す。そういう練習で皆さんはどんどん練習してレベルアップ出来るようになります。

最近の活動

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大会は順調で本のことも今週の水曜日に第三回目の校正が終わりました。出版の予定は8/26。皆さんに満足してもらえるいい本だと思います。楽しみに待っていてください。

中国旅行のほうは中国はちょっと大変な環境で、でも旅行のことは順調にいっています。

それからサンフランシスコの大会は今回は私は一人ですけれど、けっこう沢山の内容があってワークショップも今までの海外で一番多い3日間あります。講演もあるし、たぶんパフォーマンスもあります。難しい集団外気の麻酔のことを頼まれました。これも挑戦ですから、これによっていい結果はでると思います。

この大会が終わったら、後は世界大会です。この大会も皆さん楽しんでできます。教室も31期に続いて最近は32期が入りまして、全員男性ですけれど、色々な体験と気功の経験のある人が集まって今よく頑張っています。31期もよく頑張って広島から毎月夫婦が楽しみにしてやって来ます。指導員Ⅰのほうはそのまま続けながら、指導員Ⅱのほうは結構皆さん入って非常にいい状態です。29期と30期のテストも皆さん合格して最後は皆さんが頑張った結果です。連載は久しぶりにしましたが、これからまたどんどん続けます。協会の色んなことが、落ち着いたら載せていきます。

   4/28下田柔心先生の琉球古武道の大会が新木場でありました。色々な流派の有段者が二丁鎌や櫂、棍、さいなどの武器を演武しました。私たちも三名招待で演武で二名が、棍と朴刀と双剣と双鞭を演武して、有段者の先生方によかったと言っていただきました。軟兵器の武器に興味ある先生は武器を写真におさめていかれた先生もいたそうです。

   私は夜の懇親会から参加し先生方皆さんと空手や少林寺の技の話、少林寺の修行や旅行の話に花が咲きました。下田先生は私によければ会の顧問になてもらえないか言われました。少林寺旅行に興味ある先生方は来年6月第一週の少林寺旅行に一緒に何人かいかれるかもしれません。

 

生活の中で少林寺気功を生かす

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今日の言葉。

気功は私たちの生活のなかにある

気功は全日本少林寺気功協会のなかでも教えて気功の教室はもうそろそろ20年になります。各期生は非常に頑張って各期生の身心のレベルも気功の状態も高くなります。現実的にはある人は気功をよくやって病気はよくなった。益々元気になります。体が弱くても体段々強くなる。ある最近入った31期生の人は半年とちょっとで昔大変なアトピーで完全に治った。試験の時にほとんどの会員は皆気功やってそれぞれ体が元気になるとか、腰痛いとか、膝痛いとかいうのがよくなり、ある人は心が落ち着いたとかそういう感想もありました。

これは気功を本気で真面目に取り組んだら、大体そういう結果になる。だからまず第一は本気でやることが大事。

第二は頭のなかに形を覚えて自分はよく練習するということ。

どっちにしても気功はある方法で最後の目的ではない。

気功は手段であって道具です。この気功を通って体はいろいろな目標に向かう。成りたい通りになります。ある人は健康になって病気はよくなり、ある人は能力の開発、自分はもっと身体能力はよくできるか。ある人は精神の面でそれを求めて。もっと心のほうの問題を解決する。例えば禅の修行みたいにどんどん悟りの方向にいく。禅の状態になる。もちろんある人は少林寺のファンですから、なんでも習いたい。もちろんある人は自分は強く成りたい。それぞれの目標はそれぞれ実際に気功をやって進む道は絶対に間違いない。でも効果は人によってちがいます。これは自分は習ったものを毎回毎回練習しましたか。ある人の話は時間がない場所がない。これは問題は解決できる。本当に自分がやりたければ時間はいくらでも作れます。いくら忙しくてもつくれます。場所はどこでもできる。普通に歩く廊下のところでもできる。本気で自分はやりたければ、私たち練習のときにあまり外部のものはああでもない、こうでもないと強調しない。日常のなかに染み込んで、私たちの歩くなかにもできます。寝ているときも仕事中も全部気の要領の通りで人に対応する。もしそうしたら自分も

びっくりするくらい瞬間に問題は解決できます。実際は気功はもし精神の面でいうと、気功と禅の修行は統一性はあります。もし体を鍛えるのは逆に気功はスポーツ界で達人の体をつくることもできます。だから常に自分の日常生活のなかに特に自分に厳しい要求をすることが必要。自分に非常に甘い。他人の色々な問題点ばかりみて、自分はどんなに素晴らしいかばかり、強調する。そうするとたぶんなかなか進歩にはならない。だから同じ練習で同じ種をいれて最後の実はなるのは違う。花は咲くのは違う。これはやっぱり自分の手で作ったものどういう道は一切他人の責任とか、他人の外部の条件は考えない。全て自分自身のなかで結論は出ます。全て自分の心と自分の日常生活のなかに出来ます。

サンフランシスコ気功大会に出席してきました。

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2013年5月17日より、アメリカの気功師Dr.Effie Chow、EWAOHA主催の気功大会に参加しました。

少林寺気功のパフォーマンス、集団外気治療の実演、連日ワークショップを行いました。現地での感想です。

サンフランシスコでおもに教室をやりました。結構長い間で4日間です。外気の話もある指導員の話もある。やっぱり教えてみるといろいろそのなかにアメリカにはアメリカの特徴がある。サンフランシスコはのんびりで逆にしばらくすると沢山の質問がくる。ゆっくりのんびりで質問についてのことはちゃんとしっかり説明。勉強会みたいなことがアメリカは好きですよ。ただ動作だけ覚えるのではなく、だから動功はちゃんと覚えるうえに、ちゃんとそれを説明することが重要です。もう一つはやっぱり教室は心をこめて、相手の立場に立って解釈して説明するということができたらいい、これは重要なこと、例えば瞑想のときに皆さんは自分のイメージの状態を説明していると、すぐ皆さんはこのイメージはこういう意味ですか。とすぐに質問がでてくる。結構質問が多くありました。四段功のときにも質問はありました。日本のように、第一段のときに、上にすると気は百会からはいる。下のときに気は出して、でもこれはどういうふうに入って出すのか。呼吸とはどういう関係で、あるいはイメージは具体的にどんなものを、どんなタイミングでするのか、そういうふうにイ
メージを細かく話したら、やっぱりアメリカ人はすごく喜んだ。なぜかというとアメリカにいる気功師はだいたい皆大雑把で、これはアメリカ人の特徴かもしれない。中国人の先生も中国式のやり方でアメリカで教えるのも原因。とりあえず動作をまねして動作を説明。わかるとか、わからないとかはあまり関係ないですよ。沢山何回も繰り返して最後は自然に覚えて慣れるというのはアメリカの特徴です。でも今回私は日本で教えるときと同じようにいろいろ具体的に説明した。そうすると皆さんは非常にわかりやすいと大喜びしました。教えるときには相手に教えるが相手は出来ない。だからこれはただ教えるだけの問題ではなくて、もう一つは自分の心、気持ちが入ることが大事です。もう一つ方法としては日本の場合は丁寧なのは結構得意ですから、それぞれの国のいい習慣でやると非常にいいと思います。
だから今回の教室は自分自身もいい勉強になりました。やっぱり日本で20年間教えた経験をアメリカで活かして役に立て非常によかったと思います。だから教室もこれから正直な話、アメリカで教えるということは、自分自身も自信を持ちました。前はただ自分の思うものだけ話してそれだけになってしまいました。
だから今回非常によかったと思います。

私の後輩にあたる人物は、少林寺サンフランシスコ支部を開いておます。
少林寺のものは、今は全世界で教えられています。少林寺拳法でも支部を持ってる。でも中国の総本山の今は少林寺文化センターの形としてアメリカにもあり、延燃さんは実際は三ヵ所の責任者です。そうするとドイツもすごく大きいです。それぞれのところで今は少林寺文化センターを広めています。日本の少林寺文化センターは実際は全日本少林寺気功協会です。その全世界の少林寺文化センターはなんのものを教えるか、一つは武術、もう一つ重要なのは禅を教える。もちろん禅は教えられる人と教えられない人がいます。これはやっぱり少林寺の武僧のレベルによります。少林寺文化センターは今はどんどん健康の方面のほうにいっています。わたしの日本での活動を見本にしています。少林寺のなかにも健康と医療。そういう一つの大きい健康の面の方向に向かっています。大きい方向性といっても、すぐにできるわけではない。健康については私たちが育てる指導員はたぶん世界的にこれから今まで習ったこと少林寺気功を世界に広めるはたぶん間違いないと思います。各禅センターは頑張っていますが、でも人材はすぐに育てることはできないです。だからそういう意味で皆さ
ん今まで習ってきた少林寺気功はたぶんこれからは絶対に人類の、精神に役立つ効果がある。そう思います。自分のためだけではなくて、もっと大勢の人に伝える使命があると思います。そういうふうに強く感じました。

31期の皆さん、「鶴功三十六式」合格おめでとう!驚きの効果の発表

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31期のみなさん、一年間真面目に練功に励み、がんばりました!少林寺気功を始める前とは別人のようになったという皆さんの

感想をいただきました。私から見ても、みなさんの変化は著しく生き生きと月を追うごとに元気になっていくのが感じられました。

ご夫婦でご参加の
ご主人Oさま(40代)病院で医師をされているので、参加できない日もありましたが、しっかりと身に着けていました。

感想「夫婦で参加し、妻の健康向上を考えて一緒にできるこの教室に入門した。自分も仕事で多忙だが、少林寺気功をはじめてから疲れにくく、仕事の能率アップ、思考力も向上した。常に元気がみなぎる感じで、日々の生活が楽しいものとなっている。妻の元気な姿が何よりの効果のたまものだと感じている。」

Oさま奥様(30代)
「ひどいアトピーに悩まされ入門した少林寺気功、一年ですっかりきれいになりビックリしている。以前はストレスを抱えやすく、すぐに体調に現れ、精神も落ち込みがちだったが、今は体がよく動き毎日活動的に動ける。以前はストレスから買い物依存症があったが、静功の効果が大きいのか、無駄な欲がなくなった。主人と二人で少林寺気功を行うのが日課で以前では考えないくらい健康的で楽しい毎日となっている。」今では、Oさまの奥様は、先日開催された「世界気功フォーラム2013」でご主人とともに徹夜になるほど懸命にスタッフとして活躍してくれました。気配りと明るい性格で周りにいい雰囲気を作り出していました。

広島からご参加のご夫婦
ご主人Nさま(40代)治療院を開業しているが、慢性のひどい肩こりで仕事をこなす中ストレスを抱え心身疲れていました。Oさまと同様、遠方からの通学と多忙のため、毎回の授業が参加できませんでしたが、奥様と二人三役で頑張ってきました。
「以前は怒りっぽく、つねにイライラしていたが、少林寺気功を始めてから心が穏やかになった。秦先生が常におっしゃている平常心を保てるようになった。仕事柄職業病だと思っていたひどい肩こりも解消され、仕事も順調に行えている。日常から痛みが消えたら心穏やかになったようだ。」

Nさま奥様(40代)
「主人と一緒に治療院をやっているが、以前は起き上がれないほど体調が悪いがたびたびあった。自分で少林寺気功を行い、秦先生からも時折外気を受ける中、体と心がどんどん元気になっていった。毎回の授業が楽しく遠方からでも通うのが苦でなく、楽しみとなっている。こんなに人が変わったようにいい状態になって本当にうれしい」と涙を浮かべながら語ってくれた。
今では、Nさまの奥様は、授業でも笑顔で元気、クラスのムードメーカーです。

M様(60代男性)長年勤めた県庁の退職を期に31期に入門しました。責任感が強く、世界気功フォーラムでもスタッフとして大活躍してくださいました。
「長年習いたかった少林寺気功を始め、固まりがちだった体の動きがスムーズになった。ひどい肩こりも解消され、体が軽く爽快。何事にも前向きになれる。自分は、クラス内で一番年上だが、クラスの雰囲気が和やかで楽しく通っている。」

K様(40代男性)
「ずっと興味のあった少林寺気功・武術だが、入門してみてすぐに効果を心身で感じてびっくりしている。父の外気調整を秦先生にお願いしたが、父の状態も良く、自分も外気調整クラスまで頑張っていくつもりだ。静功でも集中力が高まり、精神が常に安定している感じがする。」

みなさんこの一年で健康に、精神も安定しとてもいい状態に変化されたようです。これから秘伝「虎龍双型養生功」が始まります。
鶴功三十六式のゆったりとした動きとは異なり、武術らしいダイナミックな動きが多くなります。これからもがんばっていきましょう!!

 

 


大会が終わってからの教室の風景10/20

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今回の気功大会が終わった後に31期生の鶴功36式の試験があり生徒のみなさん全員合格しました。みなさん一年間非常に時間をかけて練習しました。ある人は型が外から見て綺麗というよりも内面の効果がみえてよかった。体の中身のほうもアトピーが治るとか、精神的ストレスに対応する能力とか、非常に心身は元気になって、精神的にも強くなったと感想をもらい非常に良かったと思います。31期生のみなさん本当におめでとうございます。
最近の武術教室はしばらく大会の演武の準備のためのものをやってきましたが、普段の練習に戻りました。皆さんは演武のために非常に練習して開幕式の演武は非常にうまく出来ました。武術の演武以外に気功のほうも凄くうまく出来まして、31期生までの各期生合同の演武は非常に良かったと思います。第二日目の色々な武術と気功の演武は沢山ありましたが皆さん凄く良かったと思いました。これは皆さんそれぞれの教室のなかでよく練習した結果であると思います。

体育の日「スポレク2013」に参加いたしました。

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IMG_4505先週の月曜日10月14日体育の日にコズミックセンターで毎年一回の体育祭がありました。全日本少林寺気功協会は5~6人一緒に参加しました。
私達実際は無料体験教室をしました。その体験教室は少林寺の気功と少林寺の武術は同時に混ぜて行いました。

2つの時間帯で1時間づつ、この少林寺気功と少林寺武術教室は行いました。
一つは第一の時間帯で結構沢山の人が入っていて子供もいるし大人もいるし。
大体子供は少林寺武術を体験しました。主に少林寺の連環拳。連環拳のほぼ半分位迄進みました。
そうすると気功としては四段功は一回皆さんに説明しました。養生六式は少しやって最後まで出来なかった。
第二の時間帯もほぼ全く別のグループで結構第一武道場はいっぱいになった位で皆さん楽しんでもう一回少林寺武術と少林寺気功を習いました。
それは皆さん実際の感じで、参加した人の年齢も実際私ちょっと聞いたら3才から多分70代迄幅広くて体力も随分違う人達に満足出来るでしょう。
これ2つ時間の上に実際はお昼前にこっち15分間の少林寺武術と少林寺気功の演武しました。

bujutu指導員達はまず武術は連環拳と功夫拳と昭陽拳と最後久米師範は少林寺の双鞭をしました。

IMG_4482気功は達磨大師の易筋経九段八十一式第一段と洗髄経は第三段を演武しました。大きな拍手をもらいました。
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非常に皆さん楽しいスポーツ祭になりました。

最近の各教室の様子11月17日

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最近武術教室は、八掛拳に入りまして、八極拳は連環拳の入門と功夫拳の発声で自分の能力を出して次は少林寺の代表的な昭陽拳。それ以外にもう一回八極拳は爆弾の様な雰囲気で自分の内部のから走ってのスピード力出るではなくて特に震脚から自分自身の力足から手まで、そういうところは非常に面白かった。
結構全く違う雰囲気で皆さん練習しながら非常に新鮮な感じで、以前から練習している七星拳も復習しました。七星歩のいくつの基本の練習方法を含む観音十八掌は、十八の技の攻撃、防御があり、敵を想像しながら練習出来ました。他の武術の先生のところ久米君と関口さんの教室も楽しんでます。

気功教室については指導員コースの人達は皆さんもよく頑張ってます。指導員Ⅲは少林柔拳Ⅱのもう中盤の段階に入ってます。沢山の気功でも実際武術の技でもある特徴があり少林柔拳Ⅱは非常に面白い。そうするとその中に実際生徒さんは年齢もそれぞれある。運動能力もそれぞれある。そういうところで初めて演武の時に見たらかなり難しいところで初めて演武の時に見たらかなり難しそうに感じる。でもそういうところは時間をかけて練習すれば皆さんは非常に上手くいけた。そういう事はやっぱり長い期間の練習結果が気功の効果が出ているということは、当然に証明になるという事です、指導員Ⅱの方は今、洗髄経第四段に進んでる。前回の第四式は皆さんはよく覚えてその雰囲気は良くできました。

指導員のⅠの方は各期生は自分の頑張るだけ効果は当然に出る。まず30期生は今の段階は羅漢神功の方に入るところ。人数あまり沢山無いですけど、その羅漢の難しさは結構皆さんは徐々に進みながら上達しそろそろ最終の段階に入ります。31期は虎龍相型養生功。鶴功36式は合格して虎龍に入りました。みなさんは結構良い状態です。そうすると半年前に入門した32期は、鶴功36式は三分の二の段階です。そうすると一年間の卒業の方向に向かってます。終わったら最近の新しい指導員の期生の33期は入ったばかりですけど見て結構素質が良い。それぞれの経験のある人達は非常に良いの状態で進んでいます。結構他の流派の達人のような人もいますし、凄く良かったと思います。多分将来は良い結果は出ると思います。この状態でそれぞれ気功ではなくてもっと深いところに多分少林寺の訓練法の結果は出るじゃあないかと思います。

皆さんに良い環境を・・来年より教室を移転いたします!

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実際に協会としては、事務所の移転を考えています。今の新宿の場所に14~15年前に引っ越して来ました。ここでいろいろな期生が、ここを通って卒業していきました。
2期生から33期まで。卒業は29期までです。この事務所にはご苦労様でした、そういう気持ちです。実際場所というのは、場所の気があります。この場所の気とは普通、易学風水でよくそのような表現はされますが、それは地理等場所の科学との考え方もあります。なのでそちらの方の場所の気は、人間の成功にも関わります。今回の引っ越しは主に、生徒達と患者さん達にもっと楽に、便利に、きれいに、そういう良い条件を提供する為に、やはり協会も努力しなければならない。
その考え方から、1月の引越を決めました。実際に私と事務局長とで何十件の物件を見て回り、風水や気の感覚も診断して、新しい教室を決めました。
私達の少林寺気功の練習の時に、人間と環境、自分の体の中の気の流れ主に自分の体の経絡は、自分のイメージ、呼吸、動作のポーズ等の、三調で体の病気の状態と気と繋がり、最後元気になるという事です。でも本当の気功は、少林寺気功は、それだけではないです。少林寺気功のもう一つ重要な事は、天人合一という思想です。特に禅の心と、と武と一緒です。と気と一つになるという事は、自分自身の心の中の禅と外部の環境の気の場の状態が一緒になる、そういうところが非常に重要です。外部の状態に慣れるのが一つ、もう一つは環境を変える事も出来ます。だから引越しを考える理由は、もっと良い気の場の状態、気の場の所に引っ越すという理由で考えてます。だからこれは良い気場の所での練習になると、皆さんの気功のレベルはもっと上達しやすいです。気功や武術の練習は良い気の場で練習するとレベルが高くなります。自分の潜在能力の開発も高くなります。病気も勿論癒す事もできます。そういう意味で、引越は非常に皆さんにとっても、協会にとっても重要な一歩です。良い結果を出す為にもっと努力して、少林寺少林寺気功の秘伝のものを、更に良い環境で行う。そうすると更に良い結果が出るのではないかと思います。今回の場所は非常に良い場所で、非常にきれいです。場所も倍位に広くなります。皆さんは気功の練習の時にもっと良い気持ちで練習出来ますし、非常に良い意味があるのではないかと思います。

来年からの教室、気功サロン、全日本少林寺気功協会にぜひご期待ください!

少林寺管長来日に伴い、会合を開きました。

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少林寺気功の歴史役目」少林寺管長の会談のきっかけで国際常心門の池田先生と琉球古武道の代表の漢那先生と長い会話と会談を行いました。
池田先生は自分の思っている何十年間の武道の人生でそういう二つの点は非常に深く感じられたそうです。一つは、「人間は歩くのは二本足で武道をやる人も全て二本足でしなければならない。一本は武道の方と一本は直す方。私達身に付ける技術は相手を倒すだけはまだいけない。怪我の人は私達の手を通って相手を直る。これも非常に重要な事です。だから倒すと直す両方は両立じゃあないと本当の武道は健全な武道とは言えない。」そういう鍛練の話をしました。私は非常に同感しました。なぜなら実際私は、少林寺のものを日本に20年間教えるという事で、ずっとそういう道に走ってます。この道は、一つは当然に武道、初めて武術も教えましたし、もう一つは皆さんの健康、心身を元気で病気は癒してそういう道をずっと歩いて来ました。非常に池田先生の話は非常に良い話。次のもう一つの話はこういう良いものは広く伝えて、深く伝えるのは重要です。浅くて広くではなくて。こういう判断は私も同感です。やっぱり今の世の中のものは、結構流行ってるもの、沢山の人が集まってるものは正直な話はほぼ浅いものですよ。皆そういう講演者と師匠達とか日本人の心つかまって、皆さんの一番興味あるところに工夫して、皆さんの食べ物見てる。口の味に合わせてアレンジしたものばかり、どんどん世の中に出ています。でもそういうものは勿論一時的で悪いものはないですけど良い事ある。でも浅いですから直ぐ消滅、すぐ無くなる。そういうところはあちこちよく見ている。当然に歴史からの証明も出来ない。例えば少林寺のような1500年の歴史。200年でも150年でも続くでしょうか。今の世の中で流行しているものは90%それ出来ないじゃあないですか。だからそういう面である意味話は世の中ではどういうものを選ぶのか。例えば気功、気功はどういう気功を選ぶのかという事も同じです。この気功法は本当150年続けて出来るのか。多分これは今ある中の90%以上の団体は出来ないでしょう。中国ブームからの気功は、今も中国国内でほぼあるいは結構沢山の気功流派は実際にもう大体無くなった。勿論残ったある人は自分の趣味て習ったりやってるのはほぼ無くなったと同じです。
少林寺のようなものは、今迄1500年、私達が教えている少林寺気功、少林寺武術は当然これから1500年も更に続きます。そういう歴史から表明しているものは当然に長く深く広める。達磨大師は、私最新の本にも書いてありますけど、本当は達磨大師の初めての時弟子は四人でした。その時代誰も達磨大師の事は理解出来ませんでした。はっきりその時人気がありませんでした。でも今みたらその時代人気のものは当然に全部無くなってます。直ぐ皆さんその人気の名前忘れてる。逆に達磨大師のものは深いですから。だから広めることが出来ました。だから池田先生の話は凄く良い話だと同感しました。気功も武術もそういう事です。

次は漢那先生。一つの言葉は非常に響きました。一つは自分も漢那先生も四十~五十年間位の武道の経験があります。いろんな流派も交流して、今も素晴らしい演武は出来る人物です。今回の世界大会の演武とワークショップの教室も凄く評価されました。そういうような先生でも「やっぱり自分は特に本人の流派や沖縄の沢山の流派は、やっぱりはっきり中国からの特に少林寺流からの流れというものはよく自分自身の練習、体の感じ、体験で感じたそうです。」やっぱり協会の師範達のやってる少林寺の武道と自分が長年やる武道はやっぱりその中に繋がると言えます。だからそういうものは、やっぱり分からないと認めないと深くの理解は出来ない。これは一つ。
もう一つは私もびっくりしました。漢那先生は「自分の空手は、呼吸は当然に呼吸の要領、要求はある。ではなぜそういう呼吸、その呼吸本当はどういう効果があるのか。どういう説明は教えてない。誰も分からない。」そう言いました。私はびっくりしました。私思って多分空手のところ皆分かると思って、日本ではよく呼吸、呼吸言うですけれど話を分からない。だから逆にこっちの会員の演武見て凄く感心して、だからそうすると秦先生の今日本で教える少林寺気功、本当日本人としては本当有難い。感謝の事。素晴らしい事。特に武道の人達としては、凄く助かった事言いました。皆さん本当に一番必要なものは秦先生教えるものですよ。これ私びっくりして、でも漢那先生の顔見てわざわざお世辞の言葉は全然一切無い。私話そうですか。もしそうしたらやっぱり自分そういう重さは自分の肩の負担はもっと重くなります。感じました。逆に私達の指導員達、特に卒業した師範達この気功をどういうふうに伝える。少林寺の気功は世の中にどういう役目、更に多分理解して、ちゃんともう一回認識必要ないじゃあないですか。今まで。

漢那先生は実際もう一つの話。「自分の元の師匠は実際13年間中国にいて中国で凄く勉強しました。それは技術だけじゃあなくて呼吸も習い出しました。でも何故習って自分達に琉球の中の皆さんに教えなかった。そういう事はずっと悩んでいる。」私、この話はこれはやっぱり漢那先生の師匠の事良く理解した方が良いと思います。何故教えると教えないのは縁の事もありますし、もう一つはそういう理解の力も、そういう事もあります。ある人に教えたくても教えられない。何故教えても受けられない。分からない。そういう事もいっぱいあります。だから教えるところ、なぜ教えるか、教えないの問題じゃあない。私自分自身も非常にそういう経験ありました。今まで日本に教えるは20年間で。でも結構沢山の事を本当は伝えたいし教えたい。でも中々伝える事が出来ない。伝えないのはただ技術の問題。本人は出来る。そのポーズ覚えるか覚えないの問題じゃあない。やっぱり素質の問題勿論ある。もう一つやっぱり人生感のどういう事の問題もあります。簡単な事ではない。だからそういう意味で私、漢那先生見て自分の師匠をよく理解した方が良いと思います。何故、元々は違う環境で教えるものですから、習ってるものとだからそういう事で話で終わりました。気功でも武術でもその中に少林寺の長い間の歴史のものそういう伝えるのは正直な話はすべてのもの、教室の中に伝えるは出来る訳ない。その環境に一定の環境の中に入れないとそれも出来ないですよ。例えば私達教えるものを大会でやる。そういう形で通ってこれも一つの形ですよ。だから教えると教えるないのはそれの形だけの問題。知識だけの問題ではない。そういう面で皆さん多分少しづつ分かるじゃあないかと思います。

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